――ほんの出来心だった。そう自分に言い聞かせる。
二月十四日。世間では所謂“バレンタインデー”と言われる記念日で、それはここファウンデーションも例外ではなかった。市街に出ると至る所で”バレンタインフェア”という文字を見かけるし、相手への贈り物に悩む女性の姿も大勢目にした。街全体がお祭りムードだったのだ。だから。
そう。人々の熱気にあてられただけなのだ。“コレ”に特別な意味はない。思い切って手作りとかしてみたけど、ただ、彼への日頃の労いや感謝を形にしようと思ったに過ぎない。そうなのだ。
先程から誰にしているのか分からない言い訳を考えながら、イングリットは部屋の中を歩き回っている。彼女の手にはかわいらしい包装とリボンでラッピングされた箱が添えられている。傍から見れば浮き足立っているようにも見えなくはないが、本人は至って真面目に考え込んでいるようだ。だから、自身に近づいてくる――普段なら見逃さないはずの――彼の気配に気づかなかったのかもしれない。
「さっきから落ち着きがないな」
「ひゃっ!!」
背後から予想外の、しかし期待していた――オルフェの声が聞こえて思わず身体が跳ねてしまった。上司なのだからここにいてもおかしくないのだが、心の準備というものができていない。そのせいか、思わず声が上擦ってしまった。
「午後からの予定だが……む、それはなんだ」
「こ、これは……その、日頃の感謝の気持ち、というか」
勇気を出して彼の前に“ソレ”を差し出した。
「……ああ、バレンタインか」
イングリットの手を怪訝そうに見ていたオルフェだが、合点がいったようだ。だが、彼の表情は浮かないままである。それどころか、少し不機嫌なようにも見える。
――やってしまった。イングリットに後悔の念が押し寄せてきた。
「我々はそんなことに現を抜かしている暇はないんだぞ」
「……っ」
「午後は母上のもとへ客人が来るんだ。気を引き締めるように」
「……はい。承知しております」
オルフェはイングリットからの贈り物を一蹴すると、そのまま立ち去ろうとした。
――分かってはいた。どんなに頑張ったところで、自分の想いが相手に届くことはないなんて。彼の眼にはいつだって“彼女”しか見えていないのだから。
落ち込むイングリットをよそに部屋を出ていくかと思われたオルフェ。だが、扉の前で立ち止まっていた。
「……」
踵を返して再び彼女の前に戻ってきた。
「……?」
「……先程まで頭を使う仕事をしていてな。少々疲れている」
「それなら、自室に戻ってお休みになられた方が」
「疲れた時は甘い物を摂取すると良いと聞いたことがある」
「はあ」
「……察しが悪いな。“ソレ”は甘い物じゃないのか」
「……あ」
「やっと気が付いたか」
「でも何故急に? 先程までは必要ないと」
「ああまで落ち込まれるとこちらの気も滅入る。お前は隠しているつもりかもしれないが」
「えっ」
「あと」
「あと?」
「……別に要らないとは言っていない」
舞い上がるような気持ちだった。恐らく、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。心なしか顔色が優れないように見えるし、疲れているというのも事実なのだろう。
だが、自分の想いを受け取って貰える――イングリットにとってはその事実だけで充分だった。
オルフェはイングリットからの贈り物を受け取って開封する。箱の中にはチョコブラウニーが入っていた。その中の一つを手に取り、口の中に放り込む。
「これは手作りなのか?」
「はい。……その、お口に合わなかったでしょうか?」
イングリットの問いに少し間を置いてから、
「……悪くない」
少し照れくさそうに答えた。
「……! ありがとうございます!」
――彼の言葉が、一番の贈り物。