――レッスンスタジオにて。
窓から夕陽の光が差し込み外が段々と暗くなっていく中、花園百々人は医務室で椅子に腰掛けぼんやりと足下を眺めていた。右足は少し赤く腫れており、もう少し遅ければ大怪我になるところだった。
時は少し遡り――。
今日は315プロダクション全体の合同ライブに向けて、DRAMATIC STARSとC.FIRSTの2ユニットが合同でダンスレッスンを行っていた。
右足に違和感を覚えたのはダンスレッスンを始めて三十分ほど経った頃だった。最初は気のせいだと思いそのままレッスンを続けていたが、段々と大きくなる痛みに右足が悲鳴を上げようとしていた。その時に同じくレッスン中の桜庭薫に「おい、そこの2年生生徒会長」と呼び止められた。
「これ以上右足に負担をかけ続ければ症状が悪化するだろう。すぐに手当を行う必要がある」
周りにはバレないように上手く隠していたつもりだったが、流石は元外科医という事だろうか。同じユニットメンバーである天峰秀も眉見鋭心も百々人の様子が普段と少し違うとは感じていたが、右足の怪我には気付いていなかったようだった。
「百々人先輩、右足怪我してたんですか?」
「痛みはあったのか? なぜもっと早くに言わなかったのか?」
「大したことないし、僕は大丈夫だから練習を――」
「よし! 結構長い時間レッスンしてたし、そろそろ休憩にするか!」
「そうですね。オレもちょうど小腹が空いてきたところなので、何か買ってきます」
「え、でもそんな」
「少しは歩けるな? 僕達は医務室に行くぞ」
少し重い空気が漂っていたレッスン場に天道輝と柏木翼の明るい声が響いた。薫と百々人が医務室へ行く際に秀と鋭心が駆け寄ろうとしたが、輝に「まあ桜庭先生に任せとけば大丈夫だろ!」となだめられ、二人はレッスン場で百々人を待つ事にした。
――そして現在。
医務室に到着してから薫に「手当ての準備をするからそこの椅子に座っていろ」と言われ、百々人は言われるがまま窓際に置いてあった椅子に腰掛けた。
百々人から見た薫の印象は、良くも悪くも「完璧な人」だった。周囲ともあまり関わろうとせず、同じユニットの輝とよく喧嘩をしている。加えて元々外科医でエリートということもあり、自分にも他人にも厳しく、どんな仕事も妥協を許さないほどプライドも高い。そして、歌唱力も高い。正直なところ少し苦手意識を持っている。
「とりあえず応急処置はこれで良いだろう。軽い捻挫だから数日安静にしていれば問題ない」
「あ、ありがとうございます」
「……何をそんなに怯えている」
「え、えーっと……」
つい目をそらしてしまった。どうやら顔に出ていたらしい。百々人はすぐに笑顔で取り繕った。
「桜庭さんってレッスンでもお仕事でもいつも完璧で凄いなあって思って」
「レッスンも仕事も完璧にこなすのは、プロなら当然のことだろう」
「……ダンスが全然覚えられなくて、その上こんな怪我までするなんて……やっぱり僕にはアイドルの才能が無いのかな……」
プロなら当然、という言葉が百々人の胸に刺さった。プロデューサーが「才能がある」と言ってくれたのに、現状はその期待に全然応えられていない。中途半端な実力しか出せない、完璧でない自分にやはりアイドルの才能なんて無いのではないか……。
「……僕は天道と柏木よりも体力や筋力が少ないことを自覚しているし、ダンスも得意とは言えないだろう」
「え……」
「それに……君とは少々事情が異なるが、僕も同じような経験をしたことがある」
考え込んで俯いていた百々人にかけられたのは、意外にも優しい声だった。あの薫が、自分と同じ……? てっきり「弱音を吐くとはプロとしての自覚が足りない」なんて叱られると身構えていた百々人は、思わず薫の顔を見た。
「DRAMATIC STARSがデビューして間も無い頃、僕が腕と脚を負傷する事件が起こった。天道も柏木も怪我のことは知らなかったし、そのせいで足をひっぱり仕事に支障が出るなどプロとしてはあってはならないことだ。そう考えて、周りには怪我を隠してレッスンを受けていた」
「でも、あの二人なら桜庭さんの怪我に気付きそうな気もしますけど……」
「あの馬鹿は変な所で察しが良いからな……。君の予想通り、レッスン中に怪我に気付かれた。だが、怪我を隠していたことに怒っていると言われて気が付いた。僕達はDRAMATIC STARSという運命共同体だ。ユニットの誰かが困っているなら助け合えば良いし、互いに苦手な部分をフォローし合えば良いとな」
「足りない部分を……。僕はアマミネくんみたいに歌は上手くないし、マユミくんと違ってダンスは苦手で……」
「……不本意ではあるが、僕も天道のような体力バカではないし、柏木ほど他人に愛想を振り撒くことは出来ない」
「でも、桜庭さんは歌がとても上手だから」
「……君の愛嬌のあるところは、他の二人にも負けない、アイドルの武器として磨けば十分戦えると思っているが」
「……へ?」
アイドルとしての武器になる。自分にもアイドルの才能があるかもしれない。それは本当なのだろうか。もしかして、薫なりに励ましてくれているのだろうか。
「とにかく、君達三人もトップアイドルを目指すのならレッスンをこなすしかないだろう」
薫は何かを誤魔化すように早口になった。照れ隠しだろうか。薫の意外な一面が見られたかもしれない。
「だが、無理をしてしまっては元も子もないからな。今は安静にしておくように。あと、水分補給も怠らないように」
「ふふ、はーい」
「……何を笑っている?」
「お医者さんみたいだなあって」
「元々外科医だからな」
「桜庭さんって結構人の事見てるんですね。あと、意外と優しいところとか」
「……手当てが終わったから僕はもう行くぞ。君も無駄口を叩いている元気があるなら、二人に顔ぐらい見せてやっても良いんじゃないか。君のことを心配していただろう」
「せっかくだし、一緒にレッスン場に行きませんか?」
「君、急に距離が近くなったんじゃないか」
「そんなことないですよ?」
完璧だと思っていた人にも不得意なことはある。そういえば、過去に秀や鋭心も「コソ練」をしていたと打ち明けてくれたこともあったし、この人も不器用なだけで案外優しいのかもしれない。そう思うと、自分が感じていた薫との壁のようなものはいつの間にかなくなっていた。百々人の中で薫は「完璧な人」から「不器用な人」へと変化していた。
最初に感じていた気まずさなど嘘かのような雰囲気で百々人は薫について行き、医務室を後にした。