空を飛ぶ夢を見た。
夢なんて久々に見たな。薫はベッドの上で独り言ちる。そして、懐かしい話を思い出していた。
遥か遠い昔の――姉との記憶を。
*
――とある病院の一室での話。
「空を飛ぶ夢を見たの」
ベッドの上の少女が。
「へえ、素敵だね。どんな夢だったの?」
その言葉に反応して、隣の椅子に腰掛けていた、少女よりも幾分か幼い少年が問いかける。
「自分の体が雲一つ無い空に浮かんでいてね。下を見れば街が広がっていたの」
「足の下に街があるなんて、想像できないや」
「しばらくぼーっと街を眺めてたけど、他にやることもないから、空を”泳ぐ”ことにしたんだ」
「空を”泳ぐ”? ”飛ぶ”んじゃなくて?」
「そう。あれは空を”飛ぶ”というよりは”泳ぐ”と言う表現が近かったと思うの」
「そうなんだ」
「自由に泳いでたら、いつの間にかイルカが隣にいてね。一緒に泳いでくれたの」
「空なのにイルカがいるの? 面白いね」
「夢の中だから、何でもありなのかも」
イルカが空を泳ぐ。その言葉に少年の目が輝いていた。
「姉さん、イルカが好きだもんね。イルカの方から泳ぎに来てくれたのかも」
「そうだと嬉しいなあ」
「僕もイルカと一緒に泳いでみたいなあ」
少女の話を聞いて少年は胸を弾ませていた。が、病室の時計を見るなりらんらんとした表情が焦りに変わる。
「わ、もうこんな時間だ! そろそろ帰らないと」
「気を付けてね」
「うん。明日もまた来るね」
「楽しみにしてるわね」
少年があわただしく立ち上がる。少年の去り際、少女がそっとつぶやいた。
「夢の中だとあんなに自由に動けるのにな……」
少女の言葉に、少年は聞こえないフリをした。
*
結局姉の容体は悪化し、帰らぬ人となってしまった。だから、今はきっとあの時の夢のように、イルカと一緒に空を泳いでいるのかもしれない。あの頃とは違い、自分の意思で自由に動き回っていることだろう。そうであれば良いと思う。
あの日の悲しみと決意を胸に、今日まで走ってきた。でも、今いる場所はまだゴールではない。
ベッドサイドに置いてあるイルカのペンダントを手に取る。
これからも、自分は走り続けるだろう――だから、見ていて。